観客がクリエイターとなる映画をつくる(上) 映画監督 龍村 仁

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2016.11.11/龍村仁事務所・新宿御苑にて

心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。

株式会社BCN 会長 奥田喜久男

<1000分の第178回(上)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

1964年の東京五輪から「キャロル」までのNHK時代

奥田 監督はNHKにいらしたんですよね。

龍村 映像をやりたくて。当時は大学に公募があったのはNHKだけだったんですよ。

奥田 最初の仕事は何だったのでしょう。

龍村 ちょうど64年の東京五輪が目前だったんです。僕、大学時代、ずっとラグビーをやっていたから、スポーツがわかるだろうということで、五輪の放送要員になっちゃったの。

奥田 地方局への配属じゃないんですね。

龍村 そうそう。NHKの運動部には優秀なディレクターはいるんだけど、五輪だからみんな現場に中継に行くわけです。だから僕は主調整室というところでアシスタントということで……。だけど、その時中枢にいらしたディレクターがスポーツに縁がないこともあって、秒刻みで送られてくる大量の情報を前にして、パニックになっちゃって。

奥田 対応できなくなってしまった。

龍村 そうなんです。当時はコンピュータとかなくて、すべて手動だったから余計にね。自分はラグビーでもまさに瞬時に判断して決断を下すみたいなポジションだったから、得意というか慣れてたから、結局全部やりました。

奥田 64年の五輪の映像は監督の采配だったんですね!

龍村 あの時、ヘリコプターで撮った映像を生でオンエアするのが初めてでね。入場行進とのタイミングを合わせるために、試行錯誤したけど、本番では何とかうまくいきました(笑)。

奥田 すごい歴史の一幕に関わられたんですね。その後『キャロル』の映像がきっかけでNHKを辞められたんですが、それは制作したものがオンエアされなかったからですか。

龍村 いや、手法を変えれば放送できたんです。例えば、NHK的なナレーションを入れてね。でも、僕はそうしたくなかったわけ。NHKの人たちは当時の「キャロル」や矢沢永吉がもっている、ロックンロール的なものはなんとなく胡散臭くていやだと思っている。だけど、ナレーションで解説して、“珍しいもの”だということにすればOKだと。

奥田 それは監督としては納得しない。

龍村 映画は場面のつながりと、その質感です。そんな手法を取ったって、矢沢や彼らの質感というのは表現できない。観る人が映像を通して観る質感との間でクリエイションを起こしていくものでないと……。それをナレーションでもって毒を抜いてしまうようなことはやりたくない。

奥田 ナレーションは毒を抜きますか。

龍村 抜きます。気持ち悪いよね。わかったような気になってしまう。僕のつくりたいものはそうじゃない。映像のなかにある何かと同じものが自分のなかにあって、映像を観ることによってそれが動き出すようなね。

奥田 じゃあ、100人が観たら100通りの化学反応をさせたいわけですね。

龍村 させたいというのではないです。僕が送って、観る人が受けるというのではない。人はそれぞれ自分のなかに回路をもっているわけだから、実は自分がすでに知っていることなんです。僕が特殊なメッセージを手練手管で渡したら、観ている人が納得するということではないですかね。

奥田 双方向ということですか。

龍村 映画を観ている人がクリエイターとなってくださるように願っていくというか。映画と観ている人がクリエイションを起こして、双方向に通じ合うものだと思う。

地球はそれ自体が一つの生命体である

奥田 NHKを辞められてからは。

龍村 独立していろんな映像をつくっていたんですが、ある時セゾングループの堤清二さんからコマーシャルを頼まれたの。

奥田 それはいつ頃ですか。

龍村 80年から88年くらい。当時、セゾングループが年に2回、2時間ドラマの提供をしていたんだけど、そこに3分のCMが4回入る。堤さんはCMでドラマを壊したくないから、お金をかけないで、何かセゾングループのイメージアップになるようなCMをつくれないかと言ってきたんです。それでその時つくったのが、ガイアの俳句版みたいなもの。

奥田 ガイアの俳句版とはおもしろそうですね。

龍村 世界中からいろんな人を選んで、その人の生き方やメッセージを3分で撮るというシリーズでした。いろんな人に出演していただいて、立花隆、横尾忠則、キース・ジャレット……。「百匹目の猿現象」で知られるライアル・ワトソン博士にも出ていただきました。

奥田 そうそうたる名前が出てきますね。シリーズ全体だと何人くらいになるんですか。

龍村 50何人かな。実際には3~4時間かけて撮るんだけど、まとめるのはCM枠の3分でね。堤さんからはドラマの妨げにならないようにと釘をさされていたんだけど、放送が終わった後、問い合わせが来るのがその3分のCMに対してだったんです。その時に「あ、世の中の人はこういうのを望んでいるんだな」と思ったわけ。

奥田 でも、それも終わってしまって。

龍村 だから、自分でつくって世に問うという形を取れるのは映画だけだなと思った。発注されてつくるというのではなく、地球交響曲 ガイア的なスタイルを何とかつくれないかと始めたのが1989年です。

奥田 地球交響曲 ガイアシリーズのベースがそのCMにあったんですね。ちょっと話が後先になってしまいましたが、改めて地球交響曲 ガイアについて、教えていただけますか。

龍村 地球交響曲 ガイアは、オムニバスのドキュメンタリー映画シリーズです。大もとにあるのは、英国の生物物理学者ジェームズ・ラブロック博士の唱えるガイア理論。「地球はそれ自体が一つの生命体である」という考え方で、日本の精神性にも通ずるところがあります。ラブロック博士の考え方に勇気づけられて制作した「第一番」ができたのが92年。以来、自主上映を中心に、これまでに延べ240万人に上る方に観てもらっていて、今もいろんな場所で上映していただいています。

奥田 最新作は15年ですね。「第八番」。

龍村 キーワードは“Fear, Beauty, Wisdoms,
Bravery”「畏れと美と智恵と勇気と」です。ラブロック博士のガイア理論のなかにもあるのですが、地球の大気中の酸素濃度を21%という数値に保ち続け、多様な生命体を生かし続けてくれた「樹」を取り上げています。(つづく)

心と身体を

自由にしてくれる存在

監督の自転車親友でもあるバイクショップ「なるしまフレンド」のオーナーが、監督のために選んでくれたイタリアの「アラン」。今の愛車は2代目。「1代目は自分から去っていった。その日に店にやってきたのが2代目。鍵は1度もかけたことがないんです」と監督。

監督とお母さまの

エピソードの木版画

病に伏した晩年のお母さまと監督が、新宿御苑を散歩した時のエピソードを版画家名嘉睦稔氏が版画に作成。画のなかの詩はお母さま作、いつも監督のデスクの上にあるとのこと。


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